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Interview

創業104年。千葉・鎌ケ谷「私市醸造」が杉の木桶で育てる酒粕酢

現地取材

千葉県鎌ケ谷市の私市醸造株式会社を訪ね、代表取締役社長の私市一康さんに直接お話を伺って書いた記事です。

私市醸造株式会社の社名が掲げられた鎌ケ谷の蔵の門柱

寿司屋のシャリが、ほんのり赤い。あの色の理由を知っている人は、たぶん多くないと思います。

千葉県鎌ケ谷市に、大正11年から続く酢屋があります。私市醸造さん。原料は米ではなく、日本酒をしぼったあとに残る酒粕です。その酒粕を3年以上寝かせたのちに、アルコールと共に、杉の木桶に仕込んで酢に変えます。

空気を送り込む方法を使えば、酢は短い時間でできるそうです。そのプラントを持っている会社が、なぜ木桶を残しているのか。代表取締役社長の私市一康さんに伺いました。

阿佐ヶ谷の酒屋が、鮨屋に酢を納めるようになって

取材に答える私市醸造代表取締役社長の私市一康さん
代表取締役社長の私市一康さん。大正11年の創業から数えて3代目にあたります

——酢屋さんとして100年と伺っていましたが、始まりは酒屋だったんですね。

そうなんです。大正11年に、東京の阿佐ヶ谷で酒屋として始めました。

——お酒を売っていた店が、どうして酢を扱うようになったのですか。

お客さんに鮨店があったんです。当時はお酒だけでなく、酢も取り寄せて納めていました。

——鮨屋さんに出入りしていたから、ついでに酢も、と。

最初はそうです。ただ、そこから鮨店へ酢を供給するビジネスのほうに特化していきました。

——その後、戦争を挟みますね。飲食店は営業できなくなったと聞きます。

そうです。戦後、飲食店の営業は禁止されていました。ただ、その中で唯一、鮨店だけは認められたんです。

——鮨店だけ、というのは。

委託加工制度といって、消費者がお米を持ち込んで、それを鮨にして売り返すという形なら認められた。加工しているだけだ、という理屈ですね。

——では、鮨屋さんが真っ先に戻ってきた。

一番早かったです。それに伴って、うちも酢の仕入販売を再開しました。鮨店に特化していたことが、結果的に効いたわけです。

——そのときは、まだご自分たちで造ってはいなかったのですか。

いろいろな酢のメーカーから仕入れていました。昭和30年に、明治創業の鵜澤酢店さんと提携しまして、昭和35年に自社で製造を開始しています。

——造る側に回った。何が決め手だったのでしょう。

鮨店に納める量が増えてくると、仕入れだけでは味を決められないんですね。自分たちで造らないと、思った酢にならないんです。

——その鵜澤酢店さんとは、その後どうなったのですか。

廃業になったので木桶と職人を譲り受けたんです。

——木桶ごと引き継がれたんですね。

そうです。今うちにある桶は、そこから引き継いでいるものもまだあります。

——鮨店を意識してつくられていたのですか。

鵜澤酢店さんは酒粕を木桶で仕込むお店でしたが、鮨店を意識してつくっていたわけではないと思います。それを私の祖父が、鮨店に集中的に販売していった。そういう流れです。

酒粕でなければならなかった理由と、赤酢が消えた日

器に注がれる赤みを帯びた酒粕酢
酒粕からつくられた酢。琥珀色から赤みを帯びた色が、シャリをほんのり染めます

——米ではなく酒粕から酢をつくる。今の私たちには意外な発想です。

業界の歴史から言うと、江戸時代に、今のミツカンさんが酒粕酢を開発されたと伝えられています。もともとお酢は、米からお酒をつくって、そのお酒を酢にするものなんです。

——お酒を経由しないと、酢にはならない。

ならないんです。ただ、米からお酒にするのに、すごくお金がかかりました。

——そこで酒粕、と。

酒粕はお酒を搾ったあとに残るものですから、そこはもう済んでいるわけです。しかも副産物でありながら旨味と甘みがある。だから鮨に最適な酢になった。砂糖を使わなくても美味しい。それが普及を後押ししたと伝えられています。

——ただ、今の街の鮨屋さんで赤いシャリを見かけることは、そう多くない気がします。

戦後、黄変米など食の安全への不安が広がる中で、色のついたシャリが敬遠されるようになったとも言われています。白い米への憧れや米酢の普及など、複数の要因が重なって、鮨店の酢は次第に赤酢から米酢へ変わっていきました。

※黄変米事件=戦後、輸入米にカビによる変色が見つかり問題になった出来事です。

——それでも、私市醸造さんは酒粕の酢を鮨店に供給し続けられた。

うちの酒粕酢は米酢とのブレンドです。色はわずかにシャリに付きますが、木桶の香りが酒粕酢に移って、その香りと味が鮨にマッチしていた。だから一貫して、鮨店にはこのお酢を供給してきました。

——赤酢がまた注目されるようになったのは、いつ頃からですか。

2010年代です。冷凍技術が進化して、ネタへの仕事として熟成の技術も進化しました。まぐろを熟成させて、旨味を引き出していく。そうすると、従来の米酢でつくったシャリでは、ネタに負けてしまってバランスが取れなくなるんです。

——シャリの側を変える必要が出てきた。

そうです。酒粕の配合を増やす、あるいは酒粕だけでつくった純酒粕酢を好まれる職人さんが増えました。その現象は今も続いていて、江戸前鮨は赤酢を使う、というふうに再定義されるのではという勢いがあります。

——それは日本の中だけの動きだったのでしょうか。

いえ、むしろ海外から来ています。日本の職人さんが海外で鮨店を構えるときに、赤酢の鮨が一緒に広がっていった。香港で火がついて、そこから世界中に広がりました。ここ10年から15年ぐらいの話です。

——海外のお客さんのほうが、先に赤いシャリを知っている。

そういうことも起きています。

——米酢との違いは、どこに出るのですか。

コクです。人が美味しいと感じるコクは、旨味と甘みの相乗効果だと言われています。酒粕酢は米酢に比べて旨味と甘みが豊富なので、まぐろなどの脂の甘みと重なって、コクが増すんです。

酒粕は、3年待たないと良し悪しが分からない

白いそぼろ状の酒粕と、黒いペースト状に変わった酒粕を並べた小皿
白いそぼろ状のものが仕入れて間もない酒粕、黒いペースト状のものが寝かせたあとの酒粕です

——仕込む前に、酒粕を3年寝かせるそうですね。

寝かせます。購入してすぐには使いません。

——3年のあいだに、酒粕はどうなるのですか。

見た目から変わります。最初は白いそぼろのような状態なんですが、固まりだったものが緩くなり、最後はペーストになります。

——あの赤い色は、そこで生まれている。

そうです。酒粕そのものが、時間をかけて色を持つんです。

——酒粕の良し悪しは、どこで見分けられるのですか。

酒粕の選定は非常に難しいです。実際に3年経ってみて、判断します。

——3年待たないと分からないのですか。

分からないですね。メインの酒粕は新潟の酒蔵から取り寄せていますが、30年以上のお取引になります。

——その酒蔵さんとは、どういうきっかけで。

昔は安い酒粕を、こっちで2トン、こっちで3トンと、いろいろなところからかき集めていたんです。当時うちの研究員が新潟大学の卒業生で、その同期の方が新潟の酒蔵の取締役だった。それで一度やってみたらどうかと言われたのがきっかけです。単純な理由なんですよ。

——なぜその酒粕が合ったのだと思われますか。

淡麗な酒に仕上げるために、雑味が出ないよう、ゆるくしぼられているんですね。だから米の甘味や旨味が十分に残っている。今は量を増やすために何社か調査しているのですが、これがなかなか上手くいかないんです。

24時間でできる酢と、木桶の酢

麻布をかぶせた木桶が蔵一面に並ぶ様子
麻布をかぶせた木桶が蔵一面に並びます。かき混ぜず、表面に張った酢酸菌の膜に働いてもらう造り方です

——木桶を使わない造り方も、いまはありますよね。

通気発酵ですね。ドイツから日本へ導入された技術で、液に空気を送り込んで一気に発酵させます。これだと約24時間で醸造できます。

——24時間。木桶のほうは2か月、3か月とお聞きしました。

ええ、そこは比べものにならないですね。

——それが入ってきて、業界は変わったのですか。

変わりました。戦中・戦後の原料不足の時期には、米を酢の原料として使うことが制限され、合成酢が市場の多くを占めていました。その後、通気発酵などの技術が普及し、醸造酢の生産が大きく拡大していきました。原料の風味が、長期間の発酵による変化を伴わないというメリットもあります。うちも純米酢や純りんご酢は通気発酵です。

——24時間でできる設備を持っていながら、木桶も残されている。

そうですね。

——正直に伺いますが、木桶をやめるという判断はありえたのではないですか。

ありえたと思います。ただ、うちの場合は木桶からくる風味が酒粕の風味と相まって、江戸前鮨に貢献してきた。その木桶をなくしてしまうと、貢献してきたものを切り捨てることになるんです。

——それは、数字で示せるものなのでしょうか。

示せないです。分からないままに合理性を持ち込むと、本当に大切なものを、知らないうちに無意識に切り捨てていく。それを無意識にやってしまうのが怖い。まさに温故知新だと思っています。

——先代から、木桶を残せと言われてきたのでしょうか。

いえ、先代は、分からないから残したんだと思うんです。

——理由があって残したわけではなく。

ええ。ただ、お客さんと話しているうちに、だんだんその意味が身についてくる。それを次に伝えていく。私の代で木桶をやめるということがあってはいけない、と思っています。

——木桶と通気発酵は、どう使い分けられているのですか。

商品特性で決めています。すっきりさせたい場合は通気法、重厚な香りにしたい場合は表面発酵法です。ただ、小ロットの場合は表面発酵法になります。木桶による酒粕酢、黒酢、赤酢が表面発酵で、ブレンド用のホワイトビネガー、純米酢、純りんご酢が通気法です。

※表面発酵法=かき混ぜず、液の表面に張った酢酸菌の膜に働いてもらう造り方のことです。静置発酵とも呼ばれます。

——発酵中は、何を見ておられるのですか。

定期的なサンプリングと、目視です。サンプリングで液温と酸化の速度をグラフ化しますので、発酵の経過が分かります。それと連動して、菌膜の状態、厚みなどを判断して、桶の蓋を開けたり、菌膜を落としたりします。

——膜を落とす、というのは。

表面に膜が厚く張ると、酸素が足りずに発酵が弱くなるんです。だから状態を見て落とします。

——どのくらいで仕上がるのですか。

冬場は空気の循環がいいので、発酵期間は2か月ぐらいです。夏場は空気の澱みなどがあって、3か月かかる場合もあります。

木桶は70年使って、ばらして、また30年

「熟5」「仕6」と記した札の付いた杉の木桶と、桶に立てかけられた木の梯子
桶ごとに札で管理されています。「熟」は熟成中、「仕」は仕込み中。蔵には30基ほどが並びます

——蔵に並んでいる木桶は、何基あるのですか。

30基ほどです。

——桶そのものは、どのくらい使えるものなのですか。

木桶は一回つくると70年くらい持ちます。その間に漏れを締めたりはするのですが、70年くらい経つと一度ばらして、傷んでいる部分を削っていく。そうするとさらに30年くらいの寿命があるとされていて、100年持ちますよということになる。それを木桶造りさんが教えてくれました。

——どこに頼まれているのですか。

2005年に大阪の藤井製桶店さんを紹介していただいて、すべての桶をメンテナンスしてもらいました。木桶をばらして乾燥させ、傷んでいるところを削って、再度組み上げます。半年以上かかります。そのときに、新しい桶を7基ほど新調しました。

——半年出して、そのまま戻ってくるのですか。

3基分あったものが3基戻ってくるわけではなくて、2基になったりします。残った材は、次の修理のときに使ってもらったりします。

——新しい桶を入れれば、すぐ使えるものなのですか。

桶屋メーカーは、新品の木の桶は基本的に買わないんですよ。日本酒の蔵などで使い込まれたものを、中古で購入しているところが多い。なぜかというと、新しい木桶の香りがすごく強すぎて、それを馴染ませるのに、熱湯を50回ほど入れて出して、繰り返さないと駄目だと言われるんです。それに近いことをやって、やっと仕込みに使えるようになります。

——香りが強すぎると、どうなるのですか。

美味しいお酢にならないことがあるんです。木から移る香りの成分に強さや種類があって、そのうちマッチするものが残っていきます。

——そのあたりは、どうやって見極めるのですか。

自分で経験していないですからね。先人がやってきたことを、そのまま同じ方法でやる。それが一つの手がかりになります。

——同じようにやっていれば、製法は守られるのでしょうか。

そこはまだ足りないと思っています。なぜそうするのかが分からないままですから。同じようにやりながら、我々として新しいことも考えていかなければいけない。その両方で、やっと守れるんだと思います。

社員とつくった、これからの100年の旗印

私市醸造の蔵と、路地に並ぶ大型の発酵タンク
鎌ケ谷の蔵。路地の先まで大型のタンクが並びます

——2022年に100周年を迎えられました。

企業理念:ミッション、スピリット、スローガンを、社員とともにつくりました。これからの100年に向かって旗印ができたと思っています。外部の方にも入っていただいて、言葉に落としていきました。

——もともとの経営理念に「温故知新を忘れてはならない」という一文がありますね。木桶のお話で二度、同じ言葉が出てきました。

そうですね。常に食育を意識したものづくりをめざす、実践するにあたっては温故知新を忘れてはならない、と。そこは変えていません。

——使命として掲げられたのが「食の世界を広げ、人生の味わいを深める」。

はい。それから、お客様との向き合い方も整理しました。食をたのしむお客さまへは「食への好奇心の醸成」、食にたずさわる皆さまへは「感性と対話による共創」です。

——共創、というのは。

我々の感性と職人さんの感性は違うんです。お互いの感性を掛け合わせて対話をすることで、何ができるんだろう、何が大切なんだろうということを、一緒に創造していく。職人さんは自分の好きな味に対して、こうしたいという志向を持っておられる。その個性をお客様に提供できるようにする。そこがいいんじゃないかと思っています。

——合言葉もつくられていますね。「人生に、隠し味。」

行動指針が「キサイチ 挑戦の隠し味」でして、そこから来ています。食への興味、活かす持ち味、常識を吟味、常にこころ味、人への情味、ありがた味。全部、味で終わるようにし、私市らしさを出しました。

——鮨店以外だと、生協さんとのお取引が長いそうですね。

和食文化の継承、つまり木桶造りが、取引のベースの一つだと考えています。そのほか、原料に食品添加物を使わない製造であったり、容器のリユース、情報開示のスタンスなどを認めていただいているのだと思います。

食育と、次の代に渡す味

五味について話す私市一康さん
「酸味と苦みは、経験によって身につけることなんです」

——「現代の子どもは酸味を嫌う」というお話を拝見しました。

食育に関しては、和食文化の継承のために活動する使命を感じています。

——何をされているのですか。

保育園と定期的に、お酢と牛乳でカッテージチーズをつくる授業をやっています。

——子どもたちは、酸味を嫌がりませんか。

嫌がります。ただ、それは酸っぱいからというより、強い味に慣れてしまっているからだと思っています。酸味は経験で身に着く味覚なので、経験値が少ないからだと思います。一方、砂糖の甘さと旨味調味料でつくったものは美味しいんです。美味しいんですけれど、味が強すぎるんです。

——強い味に慣れると、どうなるのでしょう。

和食を食べたときに、なんだ薄いんじゃないか、物足りないと感じてしまうんです。

——それは、好みの問題では済まないと。

済まないと思っています。その子たちが、和食文化を否定する側になってしまうんです。文化の継承にとって、これはよくないなと気づきました。

——薄いのではなく、違う種類のコクがある、ということですね。

そうです。鮨で言えば、砂糖とグルタミン酸ナトリウムでつけたコクではなく、米の甘み、酢の旨味、ネタの甘みや旨味から出てくるコクがある。その違いが分かれば、物足りないと感じることなく和食を楽しめる大人になるのではないかと。

——記事で、ここだけは正しく伝えてほしいという点はありますか。

和食文化の継承に必要なのは、バランスのとれた五味だと思います。甘み、塩味、酸味、苦み、旨味です。このうち酸味と苦みは、経験によって身につけることなんです。だからその機会を意識して、子どもたちに五味を身につけてもらいたい。

——先ほどの「食への好奇心の醸成」というのは、そういうことにつながっているのですね。

つながっています。あるとき、お客様が急に訪ねてこられたことがありまして。そのお父様が鮨店をされていて、ずっとうちのお酢を使い続けてくださっていた。店はもう閉めてしまったけれど、シャリが美味しいという評判だった、と。

——訪ねてこられたのは、どなただったのですか。

その鮨屋さんのご家族です。お父様はもう亡くなられていて、息子さんが、父のシャリを食べたいと言っている。家庭で再現できるようにご協力いただけませんか、と尋ねてこられたんですよ。

——お父様が使っておられたお酢は、まだ造られていたのですか。

ありました。一貫して同じものを、鮨店にお納めしてきましたから。

——何十年も前に使われていたものが、今もある。

あります。だから、そのお父様が使っていたお酢をお渡しできました。

最初の一本を選ぶなら

——最後に。いいお酢を知りたいけれど何を買えばいいか分からない、という読者が最初の一本を選ぶなら、どれになりますか。

「私市酢 木桶の一滴」と、「熟寝合わせ酢」でしょうか。熟寝と書いて、うまい、と読みます。

——二本の違いは、どこにありますか。

「私市酢 木桶の一滴」は、木桶で仕込んだ酒粕に米酢を合わせたものです。原材料は米、アルコール、食塩、酒。酸度は4.5パーセントですから、普段お使いの食酢と同じ感覚で置き換えていただけます。

——いつもの酢の代わりに、そのまま。

そうです。酢の物やすし飯はもちろん、炒め物の仕上げに一振りしていただくと後味が軽くなります。餃子や唐揚げにかけて脂を切る、という使い方もあります。

——もう一本の「熟寝合わせ酢」は。

こちらは合わせ酢です。赤酢をベースに甘みと塩気を合わせてありますので、砂糖や塩を足していただく必要がありません。米一合に対して30ccほどを混ぜていただければ、それでシャリになります。

——家で江戸前の赤いシャリができる、と。

できます。赤酢は脂ののったものに合いますから、鮨だけでなく、お肉と合わせても美味しいですよ。


温故知新、という言葉が何度か出てきました。取材のあいだ、それは古いものを大事にしましょうという話ではないのだと、だんだん分かってきました。

この会社は、約24時間で酢ができる設備も持っています。純米酢も純りんご酢も、そちらで造っている。廃業した酢屋から譲り受けた木桶は、2005年に一度すべてばらし削って組み直し、足りない分は新しく7基入れました。鮨のネタを熟成させる技術が進んだと知れば、それに合わせて酢の配合を変えてきた。100年目には、社員と一緒に会社の言葉をつくり直しています。

新しいものを入れていないわけではない。ただ、何を変えて何を変えないかを決めるために、まず古いほうを分かろうとする。分からないうちは、捨てない。

初代も先代も、理由を言えないまま木桶を残したそうです。その意味が、3代目になってお客さんとの会話の中で分かってきた。分かるまでに、代がふたつ必要だったということだと思います。

3年以上寝かせる酒粕、70年で一度ばらす木桶、熱湯を50回ほど入れて馴染ませる新桶。どれも、時間をかけることでしか出ない味のためのものでした。

まずは食卓に一本置いて、いつもの酢の物から試してみてください。

【私市醸造株式会社】 千葉県鎌ケ谷市東道野辺6-7-45 公式サイト:https://kisa1.com オンラインショップ:https://shop.kisa1.com/

よくある質問

赤酢(酒粕酢)とは何ですか?

日本酒をしぼったあとに残る酒粕を原料につくられる食酢です。酒粕を長期間寝かせると色が濃くなるため、できた酢も赤みを帯び、江戸前鮨の世界では赤酢と呼ばれてきました。私市醸造さんでは酒粕を3年以上寝かせてから、アルコールとともに杉の木桶に仕込まれるそうです。

赤酢と米酢は、味がどう違うのですか?

私市一康さんによると、違いはコクに出るそうです。人が美味しいと感じるコクは旨味と甘みの相乗効果だと言われており、酒粕酢は米酢に比べて旨味と甘みが豊富なため、まぐろなどの脂の甘みと重なってコクが増すといいます。

木桶で仕込む酢と、通気発酵の酢は何が違うのですか?

通気発酵は液に空気を送り込んで一気に発酵させる方法で、約24時間で醸造できるそうです。一方、木桶を使う表面発酵法はかき混ぜず、液の表面に張った酢酸菌の膜に働いてもらう造り方で、冬場で2か月、夏場は3か月かかる場合もあるといいます。私市醸造さんでは、すっきりさせたい商品は通気法、重厚な香りにしたい商品は表面発酵法と、商品特性で使い分けられています。

家庭で江戸前鮨の赤いシャリはつくれますか?

私市醸造さんの「熟寝合わせ酢」は赤酢をベースに甘みと塩気を合わせた合わせ酢で、砂糖や塩を足す必要がないそうです。米一合に対して30ccほどを混ぜればシャリになるといいます。

この記事で紹介した一本