まずはこの2本


福島は浜通り・中通り・会津と、海から山まで三つの顔を持ちます。会津は雪深い米どころで、味噌や醤油の蔵が今も残ります。
この地方に伝わる三五八漬けは、塩三・麹五・米八の割合で仕込む漬け床です。名前がそのまま配合を表しています。麹の甘みで野菜も魚も漬かる、覚えやすく応用の利く保存法として受け継がれてきました。
- 名前が配合そのものの漬け床「三五八」
- 会津の雪と米が支えた味噌・醤油の蔵
福島の味が三つに分かれるのはなぜか
福島は浜通り・中通り・会津と、海から山まで三つの顔を持つ県です。同じ県内でも気候と物流がまるで違うため、味の決め手も一つにまとまりませんでした。
なかでも会津は、盆地特有の暑い夏と深い雪に閉ざされる冬を併せ持ちます。この寒暖差が発酵をゆっくり進め、長期熟成の赤色辛口味噌を育ててきました。一方で麹をたっぷり使う甘口の味噌も並び立ちます。大豆と同じ量の米麹を使う十割こうじみそは、麹が多いぶん米の甘みが前に出て、味噌汁にするとやわらかく広がります。辛口に慣れた人ほど、会津の甘口に驚きます。
塩だけに頼らず、麹の甘みと旨味で食材を保たせる。雪国の保存の知恵が、そのまま福島の味の土台になっています。
会津の乾物と、郡山の麹
会津には、海のない土地ならではの出汁の文化があります。ハレの日に振る舞われるこづゆは、干し貝柱でとった出汁に里芋・きくらげ・豆麩などを合わせ、醤油と塩で薄く仕立てる椀物です。会津藩の武家料理から広まり、江戸時代後期から明治初期にかけて庶民のごちそうになったとされます。冬が長く保存の効く食材が要る土地で、乾物を出汁として使い切る形が定着しました。
三五八は江戸時代から伝わる麹食品とされ、田植えの時期のおかずとして重宝されてきました。名前は塩三・麹五・米八の配合に由来するとされますが、実際の割合は一対一対一だったとする説もあり、由来は一つに定まっていません。福島だけのものでもなく、山形・秋田にも同じ名で伝わります。城下町の会津は味噌と醤油、商業で栄えた郡山は麹と甘酒と、同じ県でも醸造の軸足は分かれています。
郷土料理と調味料
- こづゆ
- 干し貝柱の出汁に、里芋・きくらげ・にんじん・豆麩などを合わせた会津のハレの椀物です。正月や婚礼の席で振る舞われ、会津塗の小さな朱塗りの椀に盛られます。醤油と塩は薄く、貝柱の旨味を立たせる使い方をします。
- 三五八漬け
- 塩・米麹・米で仕込んだ床に、きゅうり・なす・にんじん・かぶなどを一晩漬けます。麹の働きで自然な甘みと旨味がしみ込み、肉や魚を漬ければしっとりやわらかく仕上がります。会津若松では身欠きニシンを漬けたものが知られています。
- 味噌田楽
- 豆腐やこんにゃく、里芋を串に刺し、甘めの味噌だれを塗って炭火で焼く料理です。会津の甘こうじ味噌のように麹歩合の高い味噌は、焦がしたときに香りと甘みが立ちます。
福島県の蔵元・醸造元
- 会津天宝醸造明治4年(1871年)創業
会津若松の醸造元です。廃藩置県で若松県が置かれた年に、県生産局から味噌の製造販売の鑑札を受けて創業したと伝わります。長期熟成の赤色辛口味噌と、麹歩合の高い甘こうじ味噌の二本柱を持ち、大正12年(1923年)には醤油の製造も始めています。 - 宝来屋本店明治39年(1906年)創業
郡山の醸造元です。初代・柳沼雄太郎が「宝来屋糀店」として創業し、麹を軸に味噌・甘酒・三五八漬けの素を手がけてきました。福島の家庭で三五八が身近に使われ続けているのは、こうした素の商品化によるところが大きいとされます。



