まずはこの2本


霞ヶ浦と利根川の水運は、内陸で造ったものを江戸へ届ける道でした。土浦はその要にあたり、江戸期から醤油の醸造が続いています。
大豆と小麦が穫れ、仕込みに使う水があり、消費地へ運ぶ舟があった。醸造が根づく条件がひととおりそろっていた土地です。水戸の納豆をはじめ、大豆を発酵させて食べる文化も厚く残っており、豆と麹をどう扱うかがこの土地の食を決めてきました。
- 霞ヶ浦・利根川の水運と江戸への出荷
- 大豆・小麦・水がそろった醸造の適地
茨城の醤油はなぜ旨みが濃いのか
茨城の濃口醤油は、きりっとした塩気の奥に旨みが立ちます。刺身につけると輪郭がはっきりし、煮物や照り焼きでは少量でぴたりと味が決まります。
この濃さを支えているのが木桶です。土浦の柴沼醤油醸造では、江戸・明治・大正それぞれの時代に建てられた蔵と木桶が今も現役で使われています。桶の内側には何十年、何百年とかけて棲みついた菌がおり、その働きでもろみが発酵と熟成を繰り返すことで、独特の旨みとコクが生まれるとされます。ひたちなかの黒澤醤油も杉の木桶で天然醸造を続けており、蔵付きの微生物に任せる造りを変えていません。
土台が木桶仕込みだと、だしを合わせたときの香りの伸び方も変わります。だし醤油というと手軽さのための調味料と見られがちですが、茨城のそれは醤油そのものの厚みが前提にあります。
忘れられた銘醸地・土浦
醤油の産地といえば銚子と野田の名が挙がります。ただ江戸時代には、この二つに土浦を加えて「関東三大銘醸地」と呼ばれていました。霞ヶ浦と利根川の水運が江戸へ運ぶ道になり、大豆と小麦が穫れ、仕込みの水もある。醸造の条件がそろった土地でした。
柴沼醤油醸造は元禄元年(1688年)、初代・柴沼正左衛門による創業と伝わります。看板の「紫峰」は、蔵から望む筑波山の別名から採られた名です。かつて栄えた土浦の醤油屋のうち、現在も醸造を続けているのはこの一軒だけとされます。ひたちなかの黒澤醤油は明治38年(1905年)から続く蔵です。
三大銘醸地の一角でありながら、土浦の名が知られていないのは、残った蔵の数の差によるところが大きいと言えます。
郷土料理と調味料
- そぼろ納豆
- 割り干し大根と納豆を塩漬けにした県央・水戸の保存食です。江戸時代、台風前に穫れる早生小粒大豆を活かす工夫として納豆づくりが盛んになり、それを日持ちさせるために生まれたとされます。塩で漬けたあと、醤油か納豆のタレで味をととのえます。
- あんこう鍋・どぶ汁
- 冬の県北を代表する鍋です。どぶ汁は水を使わず、大根などの野菜とあんこうの肝、味噌だけで煮ます。肝が溶け出して汁が濁ることから名が付いたという説があります。味噌があんこうの脂を受け止める、水の要らない仕立てです。
- しもつかれ
- 大根や人参を鬼おろしですりおろし、炒り大豆と鮭の頭を酒粕とだし汁で煮込む、県西に伝わる料理です。栃木と共通する食文化で、独特の風味から好みがはっきり分かれます。
茨城県の蔵元・醸造元
- 柴沼醤油醸造元禄元年(1688年)創業
土浦の醤油蔵です。かつて銚子・野田と並んで関東三大銘醸地と呼ばれた土浦で、今も醸造を続ける唯一の蔵とされます。江戸期から使う木桶が現役で残り、看板商品「紫峰」は蔵から望む筑波山の別名に由来します。 - 黒澤醤油明治38年(1905年)創業
ひたちなかの醤油蔵です。杉の木桶による天然醸造を守り、蔵に棲みついた微生物の働きに任せる造りを続けています。蔵にはカフェと発酵教室を併設し、醸造の現場を見せることにも積極的な蔵元です。
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